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エッセイSP(スペシャル)

名優・西田敏行さん

吉田 政勝

2024年10月28日

 10月17日、トップニュースで「俳優の西田敏行さん死去」と知った。夕方のテレビでは76歳で亡くなった西田さんを悼む声が次々と報じられた。    
 中国外務省の毛報道官は「西田さんは中日両国民に愛される芸術家。中日交流にも積極的だった」と哀悼を示した。
 西田さん主演の人気シリーズ「釣りバカ日誌」が大好きな私はDVD全作をほぼ観ている。出世より釣りと家庭を愛する万年平社員の「ハマちゃん」。共演する三国連太郎さん扮する社長の「スーさん」にとってはハマちゃんは釣りの師匠。そのふたりの公私が逆転する立場に笑っていた。私も釣りに夢中になった時期があるので、ハマちゃんに感情移入ができた。
 同シリーズの脚本を手がけた山田洋次監督は「喜劇のヒーローを演じる役者をぼくたちは失った」と喪失感を述べていた。
 西田さんは「俳優の仕事を応援してくれた養父母への感謝を忘れなかった」という記事に私は目をとめた。笑顔で優しい人が、そこに至るまでにつらい苦労を経てきたからこそ、人の機微や人情が培われることが多い。西田さんの才能開花までの歩みを知りたくなり、各紙の新聞記事を熟読した。
 幼少期に父を亡くし、母親が再婚するので、敏行さんは5歳で母の姉の養子になった。養父は貧しかったが、映画好きだったので敏行少年を映画館によく連れていった。やがて「スクリーンに映る人になりたい」と敏行少年は俳優志望になった。
 西田さんは上京して、明大中野高校で学び、系列の明治大学に進学した。大学入学と同時に日本演技アカデミー(夜学)に入学している。大学はほとんど通学しなかったので中退になった。21歳で青年座に入団して、その5年後にテレビドラマ「北の家族」でデビュー。「泣いてたまるか」にも出演。
 西田さんの遍歴と私の蛍雪時代とが重なった。デザインの夜学に通い、通信教育でイラストを学んだ私はエッセー教室へも通った。やがてデザイン業を自営し、副業で新聞記事を書いた。
 西田さんは、俳優で多くの役柄を演じ、歌手で「NHK紅白歌合戦」にも出場している。
 友人や共演仲間に仕事ぶりや人柄が称えられている、特異な俳優の逝去に冥福を祈りたい。

◎プロフィール

心況(よしだまさかつ)
17年分の本誌のエッセイ集を編んでいる。古いアプリをPDFに変換してデータ化します。時代おくれの浦島太郎です。

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