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エッセイSP(スペシャル)

手の姿

梅津 邦博

2023年10月 9日

 注文洋服店に生まれ育って、高校卒業すると札幌へ向かった。問屋の紹介で中心街にある紳士服販売店に就職したが、二ヵ月ほどして社長が、
 「家業を継ぐのであれば仕立の勉強をした方がいいのでは」
 と話された。そうして紹介されたところが日本トップレベルの〈シマベ服装研究所〉だった。注文洋服店だが研究所を名乗っている。蒲団や衣類などを運んで引っ越した。先生は中古の一軒家を借りて始めたばかりで、職人たちは洋服造りに忙しい日々を送っていた。
 ぼくは基礎から習い始めていった。右手中指に指貫を嵌め、9番針を抓んで左手で白木綿糸を通すと、カッター中田が裁断した各パーツのチョークで線を引いたところに、針を約1.5センチ間隔で通して鋏で糸を切って印が出来る。やがて各パーツを縫い合わせてゆく。またポケットの蓋やボタンホールの穴かがりなどを作っていった。そのボタンを掛ける穴は繊細できれいだが、なかなか難しくて梃子摺り、W職人に見てもらうと、
 「こいつは女の事を思って縫ってんだぜ」
 と切れ長の眼をしている彼は冗談を言う。(なに言ってんだ、オレはそういうのまだ見たことがないんだよ!)。先輩に逆らうことは出来ない。とにかくそれなりに出来た時はいいとしてもなかなか難しい。巧く縫えないと注意が入る。
 むしゃくしゃしていたある日の夕方。なんとかしなきゃと思い、高校時代にやっていた空手の練習をすることにした。綿ズボンにTシャツ姿で道路向いの槲の大木に向かって正拳付きの練習を始めた。
 「エィッ! エィッ! セェィ! セェィ!...」と樹に繰り出して何十回も打ち込んでゆく。先輩を殴るわけではない。ただ、ピリッとしたかったのだ。久し振りで爽快感があった。

 3日目の夜。先生に呼ばれた。
 「おまえ、空手の練習をしているそうではないか...」
 怖い顔をして両手で、ぼくの両手を軽く掴んで睨み付けながら指で押したり撫でたりする。
 「洋服を縫おうとする者がこんなことしてどうする...」
 と、自らの両方の手の甲と掌をゆっくりとそれぞれひっくり返して見せた。それはしなやかにして何かを造ってゆくような輝く手に見えて、世界が感じられるようなありようが存在しているのだった。自分のごつい手など見られたくなかったが、空手は辞めた。

 仮縫作り、ポケットおよびフタ、ボタンホール、ボタン穴かがり、上衿、などといろいろやりながら作って行き、面白くもあるし愉しかった。何度かやってゆくと上達していった。

 1年後、父が脳梗塞で倒れてしまい、一旦家に帰った。元気そうだったが、今後のことを考えて退職するしかなかった。栄光の研究所なのだ。辞めたくなかった。少なくても5年は働きたかった。

◎プロフィール

帯広市出身。自営業。文筆家。趣味/映画・街歩き・旅・自然光景鑑賞。著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。銀鈴叢書『歩いてゆく』(銀の鈴社)。

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