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エッセイSP(スペシャル)

恩 師

吉田 政勝

2022年6月27日

 一年ほど前に、レンタル店で偶然手にしたDVDの「私という人間を作った、すべての愛するものたちよ」のコピーが目をひいた。ノーベル文学賞のカミュの原作「最初の人間」という自伝映画だった。
 カミュの父は戦死し、母は聴覚障害で読み書きができなかった。カミュは貧しい生活で進学は考えていなかったが、小学校担任のルイ教諭はカミュの才能を見抜いて進学をすすめた。奨学金を受けながらカミュは高等中学校リセに学んだ。ルイ先生の恩を生涯忘れず、カミュは手紙を通じて交流を保ちつづけた。
 カミュのルイ先生に対する思いと、中学時代のわが恩師と重ねていた。卒業文集で私は新聞配達の思い出を書いた。M先生は私のあだ名を呼んで、「作文よかったぞ。載せておいたから」と笑顔で言った。卒業当日、その文集を手にすると私の書いた全文がそのまま掲載されていたので驚いた。他の生徒は2~3行の要約した思い出を載せただけだった。
 その卒業式が終了し、帰り際の教室で「吉田とYは職員室に来てくれ」と伝達された。先生から手渡された茶封筒は生活困窮家庭への町からの援助金だった。Y君は兄弟の多い農家で前年冷害が伝えられていた。私の家も貧しくひもじい思いで暮らしていた。
 卒業後、私は印刷会社に就職し、3年後に札幌に出た。昼は働き、夜はデザイン学校へ通った。十勝に戻ると高校の夜間部に入った。現国のK先生は私の文章を添削し「ぜひ新聞に投稿して」とすすめてくれた。やがて私は本誌にエッセイを書き、新聞に投稿が採用されるようになった。それらの文を読んだ道新のS報道部長から十勝版のコラムを依頼された。その後「朝の食卓」抜擢につながった。栄転するS部長は「あなたは書きつづけるように......」と電話口で激励してくれた。
 前を向いて生きる人生だが、ふりむくとその岐路に私を「導く」恩師たちがいた。恩人に手紙を書き、近況を伝えてきた。私の文学性を「推し」てくれた人々を忘れるわけにはゆかない。

◎プロフィール

商業デザイン、コピーライター、取材カメラマン、派遣業務などを遍歴。趣味は読書と映画鑑賞。「モレウ書房」代表。

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