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エッセイSP(スペシャル)

神様お願い致します

梅津 邦博

2020年12月14日

 親神様とは、天地創造されて最後に人を創られた御存在である。なのに「神様って見たことあるのか」などと一笑に付す者が多い。実は人間界とは違ってあまりにも高次元界にいるためにまみえることなど絶対にない。そして神様の世界というものは清明正直にして崇高な世界なのだ。従ってお祀りする施設などは明るく清潔な環境に違いない。
 人は、人生において何か大変なことが起きて二進も三進もいかなくなると、最後には神様のところへお参りに行くことがあるかも知れない。困ったときに神様を求めてお参りするというのは痛いほどに解るのだが、では普段から神に沿った生き方をしていたのかということが問われるのだ。もちろんぼくにも当てはまるのだが。
 人は何かっていうと自分に都合のいいことや面白くて楽しいことには向き合えるだろう。しかも為になることならあやかりたいと思って向かうのだ。しかし例えば、自分は読書が好きだ、友人のことを気遣う、などといっても神に対して波長を合わせていないのではないか。
 初詣に神社へ駆け付け、大勢の参拝客でごった返す中を押すな押すなして掻き分けて神様により近付こうとして進み、そうしておカネを賽銭箱めがけて投げるのだ。それは放物線を描いて落ちていく。それで神様は「あなたの想念は曲がっていますね」と教えて下さっている気がするのだが。おいしいものを食べに行ったり旅行に行ったりなどの時はちゃんとおカネを使うのに、神様には小銭なのだ。しかも恐るべきことにおカネを神様に投げ付けているのだ。御奉納は半紙にお包みしてするのが本当ではないかと思う。
 節分には豆まきをすると不幸なことが去って福が訪れるという、本当か。恵方巻なるものがあり、その太巻きを縁起の良い方角に向けて大口を開けてガブリつくと幸せになれるという。下品でますます信じられない話だ。肝心の神様ではなくそういう企業戦略にもよって運勢などが良くなっていくのか。けっきょく人間は自分の都合で考えているということなのだろう。どうやら神様というものをそういう何かお守りとかお札みたいなものと同じように扱っていることになるのではないのかな。
 見えざる世界のことには関心がなく、ましてや神様などと言ってものっけから信じてもいないのだ。世において貧乏、病気、人間関係の不和、悲惨な出来事、仕事が上手くいかない、などが起こるのは神様から見たら生き方が間違っているからだという教えがある。なのに聴こうとしないのがあまりにも多いのではないか。唯物史観では通らないのである。

◎プロフィール

帯広市出身。自営業。文筆家。趣味/映画・街歩き・旅・自然光景鑑賞。著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。銀鈴叢書『歩いてゆく』(銀の鈴社)。岡書イーストモール店で発売中。

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