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エッセイSP(スペシャル)

ダンディズム

梅津 邦博

2020年1月13日

 新宿にあったメンズアパレルデザイン学校の夜間部を卒業して、台東区にある紳士服製造会社のTに入社した。生産量日本一で世界で五指に入るトップクラスのメーカーである。社員が400名以上いて8割は女性スタッフだが、しばらくすると5つ年上の先輩であるシノヅカナツオ氏と出合って親しくなっていった。
 スーツを作るメーカーで仕事をしていると、自らのスーツについて出来る者は当然のごとくドローイングし、縫製部門で仕立ててもらう。そうして着熟してゆく。センスの良いスーツスタイルを作り上げていかに立ち居振る舞いをするかにかかっていた。そのためには男性的100%では物足りず、柔らかな品性も備わっているかどうかなのである。そういったような精神性とファッション性が必要であり、感性というものが必要になってくるのだった。
 シノヅカ氏はダンディズムを有している男で、ブラックスーツやブルーコードレーンスーツなどの着用姿はネクタイにワイシャツおよびシューズも含めて、品が良く洗練されていた。そんなありようにぼくは影響を受けていた。つまり彼の備わっている自らの在り方、動き方、考え方などの姿をぼくは勉強させてもらってきた気がしているのだった。ダンディズムの素質があるかどうかは、立居振舞と人間のありようを見る眼と感性などにかかっている。
 
 会社帰りに彼に誘われて喫茶店へよく行き、珈琲をご馳走になった。翌日出勤し、
 「昨夜は珈琲をご馳走になり有難うございました」
 と必ずお礼の挨拶をする。すると彼は、
 「ウメヅ君は、珈琲一杯でもお礼をきちんというところがいいね」
 といった。
 冬はスキーに同行していた。越後中里、草津国設スキー場、山形月山、山形蔵王など。汽車小旅行は普通列車で伊豆下田などへ行った。また当時は日本中が離島ブームで、夏は、伊豆式根島、新島、玄海灘の壱岐島とぼくたちはいつも太陽を追いかけながらどこか素朴な心の旅をしていたのだった。
 父が病状を抱えていることで、やがてぼくは家業を継ぐために帰郷することになった。驚いたことにシノヅカさんは、男性社員に号令をかけてくれたらしく数十名もの壮観な送別会を開いてくれたのだ。ぼくは嬉しくて悲しくて泣きながら酒を飲んでいた。彼は不器用でしょうもないぼくをずいぶんと可愛がって下さった。
 後日、上野駅から特急はつかり号で東京を去ることになった。ホームまで見送りに来てくれたシノヅカさんと彼の彼女が、発車すると走りながら手を振ってくれた。「有り難うございました...」ぼくも手を振っていた。東京にふたたび住むことはないのだった。数年間暮らしていた東京が遠くなってゆく、と寂しくてならなかった。

◎プロフィール

帯広市出身。自営業。文筆家。

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