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エッセイSP(スペシャル)

アメリカからのハガキ

吉田 政勝

2018年10月22日

 古い手紙や写真を処分していると、サンフランシスコからのポストカードが出てきた。妻あてに私が出したものだった。何を書いたのだろうか?そう思って文面を読んでみた。
 「今日はサンフランシスコにいます。日本時間で1月19日夜の12時30分、こちらは朝の7時18分です。自分の体は眠いのに、起きてバスで移動です。わがリトル英語もなんとか通用している。ロスは10年ぶりの大雨だが、私たちの行先は快晴です。昨日、ホームスティの後で『釧路沖を震源とする大地震があった』とバスの中で知り驚きました。ホテルに着いても、そちらは夜。何か壊れても、何より無事ならそれでいい。後で電話する~」
 このハガキは、平成5年1月14日からのアメリカ研修旅行(町の生涯学習セミナー事業)6日目の朝に書いたものだった。その日、10人の研修団は専用バスでストックトンの農業博覧会を見学して、町の姉妹都市トレーシーを市内見学後にホテル着いた。
 さっそくホテルから家に電話するが不通だ。すぐに義姉の住む釧路に電話を入れると「釧路は震度6でしたが、私たちは無事です」と応えたので安心した。私は「日米の時差もあり、バスで移動しているので連絡ができなかった」と事情を話した。
 その後、ホテルから自宅への電話が通じた。妻の説明によると「芽室は震度5で、東西に揺れたので食器棚から皿などが飛び出して割れた」という。妻が無事で私は安堵した。
 その年の3月に私は勤めていたデザイン事務所を辞めて、4月から独立する予定だった。町の教育委員会にアメリカ研修旅行の応募動機を書いて提出したものの自信がなかったが、メンバーに選ばれた。社長は「そうか、よかったな。なら12月いっぱいで辞めてもいいぞ」と理解をしてくれた。
 帰国して自宅に着くと、独立のために買い揃えたパソコンやプリンターが無傷だったので安心した。
 そのハガキを読んで、12日間のアメリカ旅行を懐かしく思い出したが、同時に3週間前の「胆振東部地震」も生々しく想起した。震源地の厚真町は震度7で北海道初の観測記録だ。天変地異は予測できない。だからこそ日頃の防災への備えを意識するようになった。

◎プロフィール

地震で発電所が停まり道内が一斉に停電になった。携帯は不通だったが、ラインが通じたので情報交換をした。

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