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エッセイSP(スペシャル)

夏をさがして

梅津 邦博

2016年9月12日

 二カ月くらいだか曇りと雨の日がつづいていた。オホーツク海高気圧が張り出していたせいで、太平洋側道東方面には晴れた日がほとんどといっていいくらいになかった。これほどまでなのは過去に記憶があまりないような気がしている。今年はもう夏らしい夏がないまま過ぎてゆくのかなと思っていた。
 だが8月になった1日、テレビ画面の左上隅に帯広最高気温は29℃と予報が出ていた。湿気に満ちていた空間は気温がぐんぐんと上昇していき、ベタついている身体にシャワーを浴びせた。厚い雲の所々がかすかに薄くなりはじめて明るさが現れる。翌日から十勝の夏がはじまったのだった。ぼくは街へと繰り出す。観光シーズン真っ盛りで、普段の何倍もの人々であふれている。しかし時代が変質して穢れているなかでの夏は、濁りがただよっていると感じられるような空間でしかない気がしている。行き付けの居酒屋はいつも繁盛していて、ある夜の小上りは30代の人達でいっぱいであったが、上がり框に踵をつぶした靴が何足もあるのを見て、やはりそういうことなのだな、と思う。

 でもぼくにとっての夏は、それはどこか人生に疲れていたりして、春に明るさをもらって夏が来て力のある生命力を頂いているということとは少しちがうのだ。
 夏というものは本来、人にとって真っ直ぐな季節ではなかったか。ぼくは「夏のなかで夏をさがしに歩いている」のだった。人生を生きているということは本当の夏には巡り会えなくなってゆくことを意味してはいないか。仕方がないというには、自分はまだまだという気もしているのだが。
 何かが燃えるとかあるいは凍るとかいうのは、ひとつの最高温度とか最低温度というような状態で出来るのではないか。中途半端では出来ないことで、つまりそれだけ純粋性に近くないと難しいということではないか。それは歳とともに、「青い鳥」ではないがさがしてもさがしても見つからなくなってゆくのかも知れない。
 日の出とともに朝がはじまり、夏の気がぐんぐんと盛り上がってゆくのを感じていたい。あの真っ直ぐで真っ青な大空と陽の光がふりそそいでいるさまに会いたい。その光の下の家の中にあってカラフルなスイカが切って皿に盛られているのを素直にかぶりつきたい。光に爆ぜながら川や海に入って泳いだり潜ったりしていたい。水中マスクひとつで魚たちと一緒に泳ぎ、動き回っている生き物たちを眺めていたい。公園の水道蛇口からほとばしる水が光を爆ぜつづけ、水飛沫のなかを駈け回る子供たちを見ていたい。
 社会に染まった人間の夏ではなく、それ以前の夏でありたい。少年の夏はどこへ行ったのだろうか。男は永遠の少年でなくてはならないのだった。
 あっという間に夏祭りは終わり、8月は去った。空間を視ると秋の気配がただよっていた。満たされぬまま時は過ぎていった。また、来年だな。

◎プロフィール

帯広市出身。自営業。文筆家。
著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)
銀鈴叢書『歩いてゆく』(銀の鈴社)

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