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エッセイSP(スペシャル)

袖が・・

たかやまじゅん

2015年8月10日

 降りしきる雨は、石段を上がるたびに傘の滴となって背中を濡らす。織田信長を祀る船岡山の建勲(けんくん=正式には、たけいさお)神社の手水舎はすでに人垣があった。
 「中へどうぞ」と隙間が作られ、誰かが「十時からですよ」言った。間もなく神官が祝詞を上げる本殿からは、おごそかな古の鼓動が伝わってきた。この日は、旧暦で〝本能寺の変〟にあたる。
 樹々の間から雲の切れ間が見え、「信長公の涙雨ですね」と隣にいた人の言葉に頷き、次の大徳寺までの道を教えて貰った。
 嘗て、羽柴秀吉が主君の葬儀を挙行した寺院である。青もみじと竹林の広い境内を抜けると村社が起源の今宮神社。ここの停留所で行先を探していると、先客が「反対側ですよ」と指差し目の前のバスに乗って行った。
 頭上に、またポツリポツリと落ち始めた今出川駅近くで、通り掛かった郵便配達員に寺町への行き方を訊いた。
 大きな建物は見つけ易いが、町屋の中だと迷う。散歩の人に信長ゆかりの阿弥陀寺を尋ねると境内に案内板があり、廟所は直ぐ判るそうな。帰り掛け、門の向うに笑顔が見えた。先程お寺まで案内してくれた人だった。京都人は、旅人の接し方に長けているようだ。
 見たかった相国寺の「若冲と琳派の世界展」で感動し、境内にある絵師伊藤若冲の墓に詣でる。京都文化博物館の「大関ヶ原展」には、かつての上司で私のハンドルネーム「平次親分」の名付け親、KOIOI氏が神戸から来られ十年振りの再会。展示のラインナップを語らいながらの見学は、有意義なひとときになる。
 何故かこの5日間は、多くの人と触れ合う。初日には、「青海波」を歌う新内枝幸太夫師と鴨川を臨む川床での夕食。初対面だが同い年で話が弾み、夕闇の中に瀬音を聞き、四条大橋の灯りが揺れていた。
 3日もすると道筋にも慣れる。豊国神社の強大な石垣と方広寺の鐘、そして大仏殿の跡を巡り、豊臣秀吉の眠る阿弥陀ヶ峰の豊国廟に挑んだ。案内所の人が489段あると教えてくれた長い石段を、六十路半ばで上り下りした。そして最終日の夜を迎える。
 雑談に興じ杯を交す新旧合わせて9人が、祇園囃子が奏でる河原町の一角に陣取り、楽しさに時は過ぎた。歩くのに徹すること7万歩・・その総てが袖振り合う旅となった。

◎プロフィール

〈このごろ〉初代徳川家康が辞令を受け、15代慶喜が辞表を出した二条城。遡ると、祇園祭が発祥した神泉苑はここにあった。

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