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エッセイSP(スペシャル)

裸みこし伝説

吉田 政勝

2014年12月22日

 暮れになると思い出す。「元旦0時めむろ発裸みこし」。10年前に終了した芽室の大イベントだった。
 大晦日の午後9時ころから会場に集まり、白い又びきを履き腹をさらしで巻いて、白足袋で干支みこしを担いだ。除夜の鐘を合図に街を練り歩く行事だった。
 それは27年前(昭和62年)だった。岡本晴樹、高橋久雅、熊谷光弘、西尾一則氏の4人は、焼き鳥屋でまちおこし談義をしていた。
「寒い冬を逆手にとって、目立つことをやろう」と意見が一致し「元旦0時発裸みこし」をやることになった。
 第1回目はその翌年で、辰のみこしを高橋宅の離れ部屋で制作したが、完成した辰みこしは玄関より大きかった。窓を壊して出したという。
 町内の祭り好きを集めて、担ぎ手60人、裏方20人で、芽室神社前を出発した。マイナス18度の寒風吹きすさぶ街へとソイヤ!ヨイヤ!、と叫び練り歩いた。
 規模が大きくなれば、担ぎ手や裏方も必要になる。「担ぎ手足りないんだ。たのむ手伝ってくれ」と同級生の高橋君から私は口説かれた。
 裸みこし運営委員会には入らないで、私は担ぎ手に徹することにした。なぜなら事務所にはデザイナーのTさんが出入りしていた。事務局長の岡本氏が彼女をひいきにしているようだった。
 私が自営業として独立した平成5年の翌年5月に、芽室町長選挙で常山誠氏が道庁を辞めて立起した。裸みこし事務局の岡本氏や高橋君が、今度は常山みこしを担ぐために動き出した。まちづくりに新しい風を、と思い同調した。無難な態度はとれない。しかし、負けたら私は業者として役場に出入りできなくなるかもしれないと覚悟を決めた。
 常山後援会で私は広報を担当し、選挙用の法定はがきの文案を岡本幹事長と練り上げた。七月に常山新町長が誕生した。
 その年、私は観光協会の理事になった。岡本氏の推薦だった。裸みこしのポスターも頼まれた。平成16年に終幕した裸みこしだが、その記録誌の制作も任された。観光協会会長でもあった岡本氏は観光協会の40年のあゆみの制作も私に任せてくれた。私の力量に期待してくれた。
 外部委託の制作物とちがい、事業推進組織の役員として方針を熟知し、写真資料の豊富な私のデザインは力強かったと自負する。
 傑出した能力の岡本さんだが、平成18年に肺ガンで亡くなった。天国へ旅立って8年がすぎている。彼は今も私の心の中で生きている畏友だ。

◎プロフィール

(よしだまさかつ)
北海道新聞「朝の食卓」元執筆者。十勝毎日新聞「ポロシリ」前執筆者。エッセイ集「モモの贈りもの」発行。晩成社の研究家。

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