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エッセイSP(スペシャル)

自然の恵み

吉田 政勝

2014年6月30日

 初夏の早朝、アウトドアの服装で私は車に乗った。町から郊外への踏切を越えて脇道に車を停めた。向かう先はふきの群生地だ。ここは誰の土地かと自問する。線路沿いなので、JR北海道様の所有地だろう。「ふきを頂戴します」とつぶやく。
 ふきは蕗という字のごとく道路脇にどこにでも生えているが、食する種類は限りがある。やわらかい黄緑色のふきだ。茎を小刀で斬ると、水滴が落ちた。これだ、と思う。ほどよい量を採り、ふきの群生地から離れた。
 家に帰ると、やや大きい鍋にお湯を沸かして、ふきを次々と入れた。熱湯をくぐらせたら冷水に入れる。皮をむいてから、アクぬきで水に浸す。細い茎は一夜漬に、太いのは煮物にした。
 私の子ども時代、母も朝早く自転車で郊外へふきを採りに行っていた。帰ると外の薪ストーブでそれらをゆでていた。母の作る「ふきの煮物」はご馳走だった。母は樽にふきを塩漬けに保存した。野菜類の少ない冬に、樽からふきを出して煮物を作っていた。昔の人々は野菜の代わりに山菜を食べて補っていたと思う。
 
 話は明治16年にさかのぼる。
 開拓団の「晩成社」が帯広に開墾に入った時代を思った。入地し原野を開拓し畑で作物を育てたが、夏にバッタの襲来にあって、作物はバッタの餌になった。開拓団は、アイヌの人たちから山菜の保存法を学び、小魚を薫製化し、飢餓に備えた。
 さらに、秋に札幌県庁の役人がきて「これより十勝川での鮭の漁獲を禁ずる」と言って、監視2名をつけた。あげくに鹿も禁猟とされたので、晩成社の人々も周辺のアイヌ族もひもじさと飢餓が迫り、依田勉三は鮭の監視員にかけあった。
「鮭の産卵保護のための禁漁なら、産卵を終えたホッチャレくらい人が獲るのを許してほしい」と訴えた。監視員は黙認することになった。
 冬に、そのホッチャレの鮭と野菜のクズなどを渡辺勝宅の囲炉裏の鍋で煮ていた。それは豚の餌でもあり、家族のおかずでもあった。勝は勉三や鈴木銃太郎などと自宅に帰ってきて、酒宴となった。酒の肴に鮭の身をつまみ勝は「落ちぶれた極度か豚と一つ鍋」と詠んだ。自虐的な詩だったので勉三は、ひどい、と批判し、「開墾のはじめは豚と一つ鍋」と改作され声高らかに詠まれた。
 今も昔も四季折々の自然の恵みはありがたい。

◎プロフィール

(よしだまさかつ)
北海道新聞「朝の食卓」元執筆者。十勝毎日新聞「ポロシリ」前執筆者。エッセイ集「モモの贈りもの」発行。晩成社の研究家。

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