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エッセイSP(スペシャル)

おない年・・

たかやまじゅん

2014年1月27日

 弘前から盛岡を結ぶ道が昔は津軽街道と呼ばれ、いまは東北自動車道が通っている。
 昨秋、北海道文化財保護協会「みちのく文化財めぐり」のバスが八幡平近くで、正直者が得を掴むというダンブリ長者の伝説が残る田山の地名標識に差し掛かると「この地は我が家のルーツになります」と声を上げたのが、札幌市の文化財保護指導員の田山修三氏であった。
 時計台など明治の建物がテーマの講演を田山さんから聴いて、文化財に興味を持ったのが五年ほど前になり、同い年と言うことで親近感が生まれた。
 田山さんは文化財だけでなく黒板を遣った教育を進める講座でも活躍し、著した本も数冊数え、その内容は教育界はもとより一般社会に共通する部分も多く交流が続いている。
 北海道開拓の父と呼ばれ、札幌市役所のロビーに銅像がある開拓使判官の島義勇(よしたけ)が出身地では、佐賀の七賢人とも八賢士とも尊ばれていること。創成川の元となる大友堀などを開削し、札幌を作った人と謳われる大友亀太郎は、私と同じ小田原の出身であることなど開拓期の人物について語り合うことも少なくない。

 その後「見聞が深くなりますよ・・」と誘われたのが東北旅行であり、これが切っ掛けとなって名のある専門家や研究者の方と交わる機会に恵まれ、今年の文化財めぐりは何処になるのか愉しみとなった。
 札幌駅にあるシネマフロンティアの開館から総責任者に就いていたのが伊豫田広行氏。映画好きの私は社会人となり上京すると、休日は日比谷の街で映画を観て過ごした。そのころ、伊豫田さんは日比谷の映画館勤務がスタートとのことで、すれ違っている可能性があった。
 最近、旅で訪れた岡崎の大樹寺は、徳川家康の祖となる松平家の菩提寺で、往時は広大な境内があったことが偲ばれる古刹。現在、山門の周りは民家が立ち並び、通りのバス停まで狭い路地を歩くと、その途中で表札に伊与田の名を目にした。
 そのことを告げると「三河の伊与田村が発祥」で、岡崎の庄屋、伊豫田与八郎が生涯を賭けた明治用水の事跡もあるそうな。
 伊豫田さんは役職を退いたのを機に、映画興行の裏話を執筆中と語る。ラジオ番組を通じて知り合い数年、生まれた月が数日違いの同い年でもあることから、よもやまの話に興じながらお互いに感化し合っている。

◎プロフィール

〈このごろ〉家の周辺に大きな建物が出来て風の流れが変った。朝、玄関を開けると今までと違う雪の積もり方となっていた。

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