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エッセイSP(スペシャル)

夏に向かう

梅津 邦博

2013年8月19日

 暑い陽射しの下、疲れているせいで歩くのが遅い。涼みたくもあって帯広駅地下の市民ギャラリーで開かれている「第八十八回平原社展」を観に入った。そしてそこである作品に釘付けになってしまった。
 油彩F40号『繋ぐ』酒森夏海氏作。何度か行き来しては引っ張られるようにして眺めていた。
 廃墟になった無人駅。朽ちたコンクリートのプラットホームに廃車の電車が横付けになって錆びていた。周囲は廃タイヤ、木材、ドラム缶などが散乱し、所々に青草が茂っていたり砂利や水溜まりがある。
 少年たちが六人いる。一人は、電車の前近くで途切れたレールをさらに繋ぐべく、ライン引きを押していた。一人は電車の屋根前方に伏せて前面に手を下ろし、何かをしている。一人はプラットホームにしゃがみ、チョークで何かを書いているのか。一人はホームに立っていて、あと二人は探しものなのかそれぞれ近くを走ったり歩いたりしている。
 忘れ去られた世界に命を吹き込もうとしているようだ。ガラガラガラ、タッタッタッ、カリカリカリ、というような音がいつのまにか聞こえてきそうだ。どこか哀しさも垣間見える。まるで無人駅の廃墟を舞台にした「叙情的作品」になっていた。ありえないことが子供のあふれる想いと形で繋がっていた。そういったところに、何かあらゆることのすべての物事の根幹のようなものがあるのではなかったか。
 ふと、ライン引きの少年がぼくに、
 「オジサン、なにしてるの?」
 と尋ねている気がし、気持ちが後ずさった。眺めているうちに、電車がそろりと動き出す感じがしてきた。

 天地開闢以来、大地が変動と再生を繰り返してきているのは大いなる天地の宿命ではある。そんななかで人々はさまざまな状況にありながらも、やがて時とともに一歩一歩と踏み出していくのだ。進みゆくことが、想いを繋いでゆくことが、地上で生まれた人々に与えられた営為でもある。それ以外に何の道があるのだろうか。
 会場を後にして地上へ出た。生きてゆくことにさまざまな事柄があって揺れていく。噴水の水が光を弾き返している。少し立ち尽くしていた。暑さが、
 ──どうした
 と軀を圧しつづけている。
 絵画作品を観、外で暑さに包まれ、自分の内側で少しづつ力が湧いてきたようだ。疲れている自分を夏の気に切り替えて元気にしていかなくては、と思う。少年たちは、夢を、想いを、哀しさを、熱さと楽しさで行動することにより、心のなかの世界を描いて蘇らせているのだった。大人に出来ないことが少年たちには出来るのだった。
 デキソコナイの人生に、彼等のようなものが欲しい。ぼくは気持ちの裏側で、疲れている自分に少し泣いていた。暑さのなかをふたたび歩き出した。

◎プロフィール

帯広在住。自営業。文筆家。
著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。

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