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エッセイSP(スペシャル)

通信教育

吉田 政勝

2012年3月26日

 今春の選抜高校野球大会の出場校に、長野県佐久市の通信制高校「地球環境」が初めて選ばれた。常連高校と異なり、通信制高校は練習のための環境や時間に恵まれないだろうと想像した。私も通信教育で学んできたので「地球環境」高校の試合ぶりに興味がわいた。
 私は、中学を卒業して、叔父の伝手で印刷会社に勤め、チラシ広告などの版下を制作していた。一年後に「日美」というデザインの通信教育を受講した。勤務から疲れて帰宅すると、深夜ラジオを聴きながら通信教育の課題に没頭した。課題制作の他にコンテストがあり、応募すると入選や優秀賞などを受けた。
 すると、同じ年齢で毎回選ばれて賞を受ける埼玉県の大隅敏男君という名前が気になった。大隅君の住所を調べて、彼に手紙を書いた。彼も私を意識していたことが分かった。そうして文通が始まった。彼はその後、多摩美術大学に学んだ。私は札幌に出て、昼はデザイン会社、夜は「北海道デザイン研究所」に学んだ。
 大隅君とは一度会いたい気持ちがあった。幼友達の小関敏文君が日大に学んでいたので、彼を頼って江古田の下宿に泊まり、大隅君に会うことになった。大隅君と落ち合って、電車で埼玉の自宅にお邪魔した。彼の部屋で大学で勉強した成果を見せてもらって興奮した。彼は卒業後、読売広告社に入社した。いわばデザイナーのエリートを歩んだことになる。
 私は、私なりに不遇を自覚しつつ能力向上に必死だった。札幌でデザインの夜学に通っていたが、アメリカの通信教育も始めた。その受講料が給料の4分の1で、夜学の後期の授業料が払えなくなり夜学は退学した。少しでも昇給を望んでデザイン会社を辞めて、出版社の制作部に転職した。勉強を優先させるためには他のことを犠牲にしていた。その頃、好きだな、という女性がいた。勉強専念とデート代不足で自然消滅。優柔不断なやつ、と相手に思われただろう。
 二十歳で帯広の広告代理店に勤めながら、米国の通信教育は継続していた。最後の課題提出は大幅に遅れたが、修了証書が届いたときは感慨無量だった。
 その後、私は高校の夜学に学ぶことになった。広告代理店は忙しい業種なので、定時にはとても帰れない。それで高校生活を優先して午後5時に退社できる異業種に転職した。部活は野球部に入った。地区大会が本別で行われ、たまたま私の好守と打撃の貢献があって優勝したのがよい思い出だった。そのまま異業種で仕事をつづけていたが、やはりデザイン業に未練があり、友人知人に世話になりデザイン業界に復帰ができた。
 大隅君とは今も年賀状のやりとりをしているが、そのデザインが奇抜でいつも驚いている。彼は蛍雪時代のライバルであり心の友だ。近い将来、再会し昔話に花を咲かせたいと思っている。
 

◎プロフィール

3月19日は作家草森紳一さんの命日。4年前、本に埋もれて亡くなった。遺した書物が6万冊。とにかく無類の読書家だ。

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