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エッセイSP(スペシャル)

陽の当たらない家

梅津 邦博

2022年9月12日

 住宅街を歩いているとレースなどのカーテンを閉めている家が多いなと思う。
 自分の家から少し離れたところに雑草が生えて来たとする。自然の法則でそれが次々と広がって自分の家に近付いて来たらちょっと困るなぁとも思う。もっとも雑草も太陽の恩恵を受けているのだが。また家の中のどこかに何かの影響を受けてカビなんか発生したとしたらいい気分がしない。それは静っと這うかのようにして匍匐(ほふく)前進しながら広がってゆくのだろう。従っていっそそこいらに強烈な太陽の陽を当てるか何かで、取り払いたくなる。
 つまり、陽が射さない、暗くて湿気った感がある、ということは意外にも人間の側の想念の在り方からきている場合もあると聞いたことがある。明るい想念であればいいけれど、その逆とするならば負の想念によって何事かがやがて現象化してゆくイメージがする。そうなるとさまざまな面で影響を受けてしまわないだろうか。
 とにかく天気がいい日には外に出て光を浴びなくてはならない。並んでいる家々を視るにつれ、なんとなくそれぞれの雰囲気がわかるような気がする。仮に影に支配されているかのようなありようだとしたならば、生命エネルギーは衰えてしまわないだろうか。
 いったいどうしてカーテンを閉めるのか、防犯の意味もあるだろうけれど、つまりは外から家の中を見られたくないからだろう。とにかくどうあれ、太陽の耀きに勝るものはない。
 現代の世にあっては珍しいと言っていいかも知れないが、カーテンを開けっ放しにされている家を見掛けることがある。へぇ...と思い、丸見えだけどなんだかあっけらかんとして街も家も人も見晴らしがよく、世の中が平和に見えるのだった。
 旧約聖書の云わずと知れた言葉に、
 〈神が、「光あれよ」と云われると光が出来た。神は光を見てよしとされた。神は光と暗黒との混合を分け、神は光を昼と呼び、暗黒を夜と呼ばれた―〉(「旧約聖書」創世記 岩波文庫)
 そこから万象が創られ、天文学的な時の流れによってあらゆるものが創造されたのだった。光は大いなる根源なのだ。それを避けるような生き方はしたくないなぁ。

 窓外を見るといい天気だ。車に乗ってばかりでは良くない、歩いたほうがいいな、と思う。歩かなくては。
「ちょっと散歩して来る」
と、母上に伝える。
「何処へ行くの?」
「いや、世間はどうなってるのかなと思ってさ」
「なに言ってんの...そんなことよりお前はほかに考えなくてはならないことがあるんじゃないの」
「...」

◎プロフィール

帯広市出身。自営業。文筆家。趣味/映画・街歩き・旅・自然光景鑑賞。著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。銀鈴叢書『歩いてゆく』(銀の鈴社)。

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