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エッセイSP(スペシャル)

歩いてゆく

梅津 邦博

2012年4月 9日

 ことのほか寒い冬もいつのまにか去ってしまい、早春を迎えていた。三月半ばから日中は少し陽も強くなってきて春を感じさせるが、しかし昼をまわると空はいくぶん灰色になり、気温も下がって厳しい寒さになる。春はまだ先だった。
 春分の日を過ぎたある日、郵便局やショッピングセンターなどいくつかの用を足しに出かける。大病を患ったせいで車の運転は控えなくてはならず、「歩いてゆく」しかない。風が強く、実際の気温よりも体感としてはかなり寒くて凍えるほどである。部厚い防寒コートはもう着てはいない。スポーツシャツにセーターを重ねてその上にジャンパーという出で立ちで、いくぶん前のめりに歩いてしまう。しょうもない自分はこれというほどの人生を生きていないせいで忸怩たる思いもあってか、風が身に染みてならない。
 シューベルト(一七九七 ー 一八二八)歌曲集「冬の旅」が耳の奥に浮かんできて、気が滅入ってしまう。同時代の詩人の作品を歌にしたもので、主人公が下宿の娘に恋をしてふられ、願いかなわず絶望のなかを旅に出てゆくという内容で、どうしょうもなく黯い。そんな世界の旅の空は、いまのこんな空模様と同じような気がしてならない。
 しかしときには、凍えるような寒さ、暗さ、寂しさなどにあって、晒されてゆく自分も必要なのだ。そんなときは逆に自ら毅然としていかなくては、と思う。
 ふと、小さな五ミリくらいだかの雪がパラパラと舞ってきた。風まかせに上へ下へ横へと歌うようにさまざまな飛行曲線を描いている。それは打って変わって早春の夢物語りなのだろうか。
 「歩く」ということは、空間を分け入ってゆきながら何かを引き摺っていくことでもあるのだ。自分という存在から過去のいろんな事柄が脳裏にあらわれてスライドされ、たまらないときもある。とにかく歩かなくては。すべてはそこからという気がする。そうしないことには物事がはじまらないような気がしてならない。車に乗れないなどということ以上の問題なのだった。
 人はたくさんの明暗があることにより、幾多の世界が広がって文物もつくられてきた歴史というものがある。思えば地上に人が誕生したときから、「人は永遠に向かって歩きつづけている」のではないか。それは足と手と言葉を通して、光と影の季節のなかで地上を歩きつづけてきているのだ。気の遠くなる悠遠なる時間なのだった。
 雪が止んだと思っていたら、また舞いはじめてきた。春の宴なのかもしれない。あらゆることは変転しつつも流れてゆく。花は散ってもまためぐっては咲く。夜はやがて朝になり、季節も移ろいゆく。だからこそ永遠に歩きつづけてゆかなくてはならない。

◎プロフィール

 自営業。文筆家。著書、銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。
 遂に春を迎えました。この冬ぼく自身に健康問題があっただけに、格別の春です。それにしても寒い春です。

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