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エッセイSP(スペシャル)

家の世界

梅津 邦博

2012年2月13日

 人は自分の家はおろか住む部屋さえないということになれば、いったいどう寝食をしてゆくのか。都会では、段ボール紙や毛布などで橋の下とかビルや商店街の一角で寝る人を多く見かけるが、あんなふうになるのかも知れない。もしかしてそういうことは慣れれば、それなりの心地というものでもあるのか。
 ローンを組んで家を建てているのを眺めていると、土地と建物で何千万という価格にズッシリとした感がする。「夢と希望の象徴の家」なのだろうが、何かの事情で手離さなくてはならない場合も多いと聞く。
 工事がはじまると進捗ぶりは早く、昔の大工みたいにのんびりとやるなんてことにはならないようだ。家はいつのまにか完成し、美しいデザインと整った電化システムときれいな調度品など、現代レベルの住宅になっている。
 現実問題として、そもそも「現代的新築の家」に住めることは幸福なのかなとも思ってみる。全体的に見た目はいいが、隙間もない密閉された造りになっている。そういう住居環境にて家族として形成されてゆくことが幸せなのだろうか。もちろんそういう問題は人間性からくるけれども。
 「隙間」がないというのは、空間というものが動かないことを指すのではないか。つまり、建物に住んで暮らすことで形成される家庭というものの気質がつくられてゆくのだが、それがいつしか閉じ込められているせいで心身というものが知らず知らずのうちに何かしら硬化していくような気がしてならない。
 ぼくが住んでいる家は亡き父が建てたものだが、すでに数十年は経過している。家の造りとしては粗雑で断熱材もろくに入っていず、隙間風だらけで真冬の室温は朝方零度にもなるくらいの相当な寒さである。
 茶の間のポット式床暖ストーブのスイッチは寝るときにはオフにする。他の部屋にもストーブはあるが、母とぼくとの二人暮らしで仕事や所用で出掛けることが多く、ほとんど使用しない。ぼくの寝室は寝るだけなので暖房は不要で、書斎にしている部屋には小さな石油ストーブがあるが、居るときしか使わない。ましてや出掛ける際は家じゅうの電源はすべてスイッチ・オフにしている。そんなわけでその寒さは、古いお寺の本堂か昔の農家の家みたいなのだ。それでも生活させてもらっている家であり、感謝して満足しきりである。
 隙間風があるというのは、家がカビない。実のところぼくの気持ちとしては寒い冬が好きでもあり、家にあって寒さのなかにいると人と家庭のありようを考えてしまう。冷気は、頭を少しでも冴えさせて気分も凛とさせてくれるのだ。

 八十過ぎた母が元気でいてくれて、車の運転だってする。夕暮れ時、防寒コートを着て毛糸の帽子を被る。
 「晩のおかずを買いに行くから」
 と言って極寒の外へ出てゆく。
 「車、気ィ付けてな」
 と声をかけたら、母は頷いた。
 「あと三ヶ月したらあたたかくなるよ」
 歩きながらさらに頭を前後に振った。家が寒さが、人を家庭をつくってゆくのである。

◎プロフィール

自営業。文筆家。著書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。
十勝の冬は美しい。空は青く、冷気は凛としており、陽の光は夢と創造を見せてくれるのだ。

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