No.1,295
2017年9月18日
ここ数年来ゴルフをする回数はめっきり減り、いいとこ一桁であり、これも歳をとった現象成り行きと、寂しさと共に受け止めておりました。
しかし、今年に限っては既に20回を超えまして、オマケに腕も上がっちゃって「?」、今更どうした状態。 私のゴルフ人生は、大体が時代背景でもありましたが、国内外問わずによく数人でゴルフ旅行へも出かけたもの。宴会に温泉セットが最強のコースであり、まだバブルに浮かれしを引きずっていた感覚だったね。
日本男子ゴルフツアーも、青木にジャンボに中島らスター選手華かりしで、現在の様に女子プロに押された日曜ゴルフ中継とは隔世感。アメリカツアーも個性的選手らの中継を見ていてワクワクしたものであり、ボクは豪州のグレッグノーマンが贔屓で、彼のゴルフウェアーを今も愛用しております。そのうちにタイガーウッズが出てきて、サイボーグの様な神がかりゴルフを目の当たりにしては「シビレタ」ものです、そう世界中が。
とんでもなく飛び抜けたプレーヤーが出てくるは、これはひとえにそれこそ時代背景であり、創造の世界でこそ顕著でありますが、「破壊と再生」の繰り返しの世にありましては破壊、混沌、に引きずられモウモウとした砂埃に紛れてその者たちは忽然と姿を現す。
日本でも幼少の頃に戦争を体験し、その理不尽さに戸惑い、答えを探し筆を取った、否、取らざるを得なかった数多の作家達のその後を思うと、人間の世が平常時と非常時、それぞれに生まれざるを得ない意識の違う人々へ、複雑な感情が有ります。
それは「チンパンジーから人への進化がはたして、良かったのだろうか良くなかったのだろうか」、ここをヒドク考えさせられる。そしてその答えはここからの、私たちの思考と行動次第なのです。環境破壊、原発事故、けれど今この瞬間からドウするか。正に目の前の北朝鮮の、核にまつわる暴走への対応は、目に見えた判断を試されている。
子々孫々から、僕たちは試されている。