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エッセイSP(スペシャル)

たどる・・

たかやまじゅん

2018年2月19日

 上司だった方の家族から喪中はがきが届くようになってきた。先輩の賀状に「本年で年頭の挨拶を納める」と書かれているのも少なくない。その一枚一枚に勤めていた若い頃の自分が重なって見えた。
 入社して最初の勤務地は、まだ都電が走っていた靖国通りを一本入った神田錦町で、古地図には旗本の屋敷が建ち並んでいたことが描かれている。少し足を延ばすと神田明神や湯島の聖堂と湯島天神があり、江戸の面影を残していた。中でも神保町の古書街は、本好きの私にとって格好の場所であった。
 国電の阿佐ヶ谷駅近くに独身寮があり、休日になると昼飯の出前を注文するのが私の役目で、50年経った今でも、その店の電話番号338-55××を忘れていないから不思議だ。
 朝の通勤時、新宿駅では押し屋と呼ばれる?体育会系の学生アルバイトがホームに控え、すし詰め状態の車内がさらに奥へ奥へと押し込まれるのだが、いつしか狭い中でも新聞や本を読むコツを身につけていた。
 お茶の水駅に着き、改札口の脇にある立ち食いそば屋で朝食を摂るのが寮生の日課となる。天玉ソバが50円、小銭がない時は「明日でいいよ」と店主から言われるほど顔馴染みになり、よく飽きず通えたと思う。
 周辺には、大学が多いことから安い飲食店が軒を連ね、度々足を向けてしまった。残業の帰り道、おでんやラーメンなど屋台の裸電球に照らされ、上司に愚痴を聞いて貰ったことも懐かしいひとコマである。
 数年後に、亀戸の事業所に移動する。直近のニュースで話題となった富岡八幡宮、勝海舟生誕地や吉良邸跡がある本所もエリア内で下町情緒が漂っていた。担当した得意先には、昔から小間物や装粧品を扱っていた店があり、江戸時代から伝わる商いの一端を身近で垣間見る機会に恵まれ、私の歴史好きにますます拍車が掛かった。 
 昨年、上京した折りこれらの場所をたどってみる。東京の交通網は、当時に比べJRと私鉄や地下鉄の相互乗り入れも数限りなく、初めて耳にする路線や乗り変え口に戸惑いを覚え、まさに歳月怖るべしと言えよう。
 会社のあった神田界隈はマンションやビル街に変貌し、JRの亀戸駅から蔵前通りを往くと、亀戸天神の向うには東京スカイツリーがそびえていた。

◎プロフィール

〈このごろ〉12月も押し迫ったころ、長らく療養病棟に入っていた義母が逝く。これで私にとって親と呼べる人がいなくなった。

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