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エッセイSP(スペシャル)

海へ山へと行くこと

梅津 邦博

2017年6月12日

 山や海のシーズンともなれば心が浮足立つ。青い海や泳ぐ魚たちが呼んでいるから行く。太陽が燃えていて、水着姿で日光浴をしたり泳いだりする。あの美しい山の頂に立ってパノラマに接し、世界の大きさを自分のものにしたい。などというのは「妄想」以外の何物でもないのだ。
 海とか山などは人間が住むところではなく、神の領域である。従ってそういうところで何かの活動をするというのは、特殊的な専門の人間であるだろう。正業としての漁業者や林業者、スポーツとしての登山家あるいはスキューバダイバー、何かの研究をする学者などだろうか。彼等はそういうところへ行って活動するということにおいて、自然の恐ろしさやいざという時の対処の仕方などをそれなりに心得ているだろう。
 にも拘らずたとえばベテランといわれる登山家でも、不運にして遭難に遭う者がいて後を絶たないのではないか。なのになぜ一般のシロウトでもあるようなマニアたちが、そういうところへ憧れだとかでそんなに簡単に行けるのか。山は足が地に着いているがゆえに安心感もあるのかな。とにかく妄想でないとするなら、それはいったいどういうことが理解されているということになるのだろうか。
 美しい海の水面を見て、その裏には恐ろしさも秘めているということを皮膚感覚で実感しているかどうかではないか。そうだとするならば、いきなり入ってはいけないものであるということを識らなくてはならないだろう。そのアプローチに対して謙虚や畏敬などの念を持っているのかどうかが問われる。
 有史以来、実に膨大なる人々が異界へ渡ってしまっているのである。自然世界には裏があるのだ。本来、軽はずみなことで近寄って行くようなところではないと思った方がいいのではないか。誰でも海や山へ行って自然を楽しむのはいいことだと言いたいのだが…。
 ぼく自身、夏になると日本海へ行くことがある。どこかの漁村の小さな入江は透き通った青い海で水深は5㍍、あるいは10㍍とある。太陽の光が水面に跳ね返ってダイヤモンドみたいに輝くさまはあまりな美しさでこの世のものとは思えない。水中マスクひとつだけで潜っていくと魚が無数に泳いでいて一緒に泳ぐ。また、さまざまな生き物たちが棲んでいるのを眺めているだけでも楽しい。しかしその裏側でこの水の世界は、深層にしてあまりにも広大巨大で闇の世界もあり、軀の中から言い知れぬものが滲んでくる。恐怖感がただよって耐え難くなるのだった。なめてかかると紙一重の出来事が起きかねない。静かに感謝しつつ離れてゆくのである。深入りは厳禁である。

◎プロフィール

帯広市出身。自営業。文筆家。著書 銀鈴叢書『札内川の魚人』(銀の鈴社)。銀鈴叢書『歩いてゆく』(銀の鈴社)。
北海道新聞コラム「朝の食卓」執筆者。

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